昨日は、日本人の彼女との結婚が決まった、アルゼンチン人の友人宅にお呼ばれでした。
彼がアルゼンチンに住んでいた頃からの、私との共通の友人夫婦と
さらに私には初めましての、アメリカ人のゲストが2人。
アメリカ人たちは日本語がかなり流暢ですが、スペイン語はダメ。
アルゼンチン人夫婦は英語は流暢ですが、日本語がおぼつかない。
ホストの彼はスペイン語と英語、あとは日本語もだいぶ上手になりましたが、彼女は日本語のみ。
結果、私が日本語とスペイン語と英語の間を通訳しながらの三カ国語会談状態で
来日していたトランプさんたちよりよほど国際的な場となりました(^^;
言語のことはさておいて
ランチのお招きだったのですが、私が最初に到着して話をしているうちに他のメンバーも集合。
ゆるゆると飲みながら話が始まったのですが
出してくれていたガラスのコップを、ホストの彼が手渡していたところ
日本人の彼女が「お花がついているのは女の子用に出したんだよー」
…そうかー、そういう感覚、日本独特かも。
ヨーロッパなどでは、皆同じ食器で食べるのが基本で
数がそろわない時も「かわいい」「きれい」を女子に回すというのはないですね。
ちなみに、茶碗や箸などが家族の誰のものと決まっているのも日本独特。
さらに、テーブルに出ていたスナック類をつまみつつ話をしていると
彼女は台所でせっせと料理を準備中。
アルゼンチン人夫婦もアメリカ人たちも、彼女がテーブルにつくのを待っています。
「食べててくださいねー」と彼女に言われても、なかなかそういう雰囲気になりません。
これ、結構よくある風景で
日本では、女性が台所で立ち働いていても、おうちの男性はゲストと食べながら語らっていて
女性は料理を運んだついでにちょこっとつまみつつ、また忙しく台所に戻ってしまう。
せいぜいゲストの女性が気を遣って台所に手伝いに行くものの
「いいから座っててー」とか言われて、結局ホストの家の女性と話す機会がほとんどない。
外国でおうちに招かれると、すでにすべて料理がほとんどできているか
あるいは持ちよりパーティで、おうちの女性も一緒におしゃべりを楽しみます。
皆と同じ場にとどまらず、一人だけせっせと働いているなんてありえないんです。
だから招かれた外国人は、彼女がテーブルに落ち着く時がパーティの始まりだと思っているので
それまで料理に手を出さないで待っていることも多いです。
こういうことは、日本人同士での場では気付かないものですが
別の文化を持つ人たちと一緒になって、初めてわかることですね。
どちらがいい・悪いということではなく
お互いに違いを理解して、尊重しつつ皆が気持ちの良い落としどころのようなものを探していく。
日本でも、確実に、異なる文化背景を持った人たちが多くなっていく時代ですから
そういう気持ちがあるのとないのとで、生きやすさや面白さのようなものも変わっていくのでしょう。
普段は気に留めないことでも、こういう場に出会うと改めて考えさせられる光景でした。
料理はとってもおいしかったけど、やっぱり今度は彼女とゆっくり話をしてみたいです。